こんにちは、LRMの内定者です。
就活でやらなければいけないことの、定番中の定番といえば「自己分析」です。今まで自由奔放に遊んで生きてきた多くの人たちが、「自分って何が好きなんだろう」と考えだす、宗教的な儀式です。しかし、普段そんなことを考えない人たちが(僕も含めてですが)自己分析をすると、「自分を理解する」どころか「自分を失ってしまう」危険性があります。
自己分析=自分の人生を言葉で表すこと
それを議論する前に、自己分析とは何かを、改めて分析してみましょう。自己分析の主要な目的は「自分は○○な人間です」の○○の部分を理解することではないでしょうか。「自分はリーダーシップが取れます」「自分には主体性があります」「自分には協調性があります」など、数少ない日本語のボキャブラリーの中から自分にあった○○を探すのが(少なくとも今流行ってる)自己分析だと言えます。
では、その○○はどうやって探すのでしょうか。その材料となるのが、「人生経験」です。今まで生きてきた20年という短い人生を必死に振り返って、自分が直面したシチュエーションの中から、その時自分がとった行動を改めて振り返り、自分はこういう人間なんだと悟るわけです。
まとめると、自己分析というのは、20年生きてきた「人生経験」から、自分にあった「言葉」を導出する試みだと考えることができます。
赤ちゃんに自己分析は出来る?
ところで、生まれて1年しか経ってない赤ちゃんが十分な知性を持っていると仮定した時、彼に自己分析はできるでしょうか。
僕はできないと思います。なぜなら、圧倒的に経験が足りていないのです。生まれて1年で経験できることなんて、たかが知れています。生まれて1年では「自分にはリーダーシップがあります」とか、そういう自己分析はできないのです。
では、生まれて何年立てば、素晴らしい自己分析ができるようになるのでしょうか。この問題は様々な議論の余地を含んでいますが、(僕の勝手な妄想ですが)少なくとも20年では効かない気がするのです。
その推論を仮定するならば、我々がやっている自己分析は、赤ちゃんがやる自己分析のように、非常に稚拙なものであるということです。上記の推論を仮定せずとも、少なくとも稚拙なものである可能性は否めません。
問題は、人生経験が足りていないがゆえに、自分の本来の素質を言葉に出来ないということです。1歳の赤ちゃんが、「自分にはリーダーシップがある」という自己分析ができないことを先に述べました。これは自己分析不足ではなく、ただ人生経験が足りていないという、どうしようもない問題です。しかし、この時点で赤ちゃんはリーダーシップの素質を持っているかもしれません。素質を持っているのにもかかわらず、自己分析の結果、その素質をうまく言葉に表現できないならば、それは、就活界で頻繁に行われている自己分析の大きな敗北ということになります。
自己分析の結果に縛られないで
自己分析が上手くいっていないのにもかかわらず、自己分析の結果を信じこむ人もいます。本来自己分析は「自分」を「言葉」で表現すべきものであるのにもかかわらず「言葉」が「自分」を規定してしまうのです。しかも、前述したとおり、その言葉は不完全なものかもしれません。その不完全な言葉で自分を規定してしまうがゆえに、自己PRをするたびに、「あれ、自分ってそんな人間じゃないんだけどなぁ…」という気持ちに苛まれてしまうのです。言葉に引きづられているのです。
現在の就活では、この自己分析の弱点を補うために、性格テストなどの様々な方法が採用されています。言葉に出来ない内心や性格を何とか紙上に見える化しようと試みています。
しかし、人間の内心や性格は、B4用紙一枚に収まる情報量で足りるのでしょうか。